親が子どもに与える影響ってどのくらい?

子育てがスタートしてから今まで
じわじわとプレッシャーに感じていることがある

それは、母である自分の一挙一動や
選び、与えるものが子どもの人格に
すごーく影響するのではないかということ


言動や生活態度や趣味嗜好、
そういうものが
彼らのすべてを形作る気がして、、。


育児本のコーナーに寄ってみると
今を失敗してしまったら
もう取り返しがつかないんじゃないかと錯覚してしまうような刺激的なキャッチフレーズが並んでいたりする。

気にしない気にしない!と思っていても
育児に悩んだり
心が弱くなっているときほど
なんだかざわざわと気になって
その手の本をパラパラと手に取ってみたり。

 
読んだ直後は頓服薬のようで
明日から自分もスーパーママになれるような
無敵な気分になるんだけど
得た知識を実際に
日常に落とし込んでみようとすると、、


こんなのもうとっくに何度も試してるわー!と
いうものもあれば、
これ、子どもの性格によって無理よね?
というもの、
え、これで本当にグローバルな人間になるかしら?とツッコミどころ満載なものや

これは!いい!と思う
実用的なアドバイスを実践してみても
なかなかうまくいかなかったりして
はぁ、、ちゃんと育てるためには
一体、どのくらいちゃんとすればいいの?
と頓服薬の効果はすぐに切れる笑


そこで冷静になって考えてみた

はて?
″親″がこうなってほしいと
与えるものって
どこまで人格に作用するものだろう?


わたしの両親は
確かにいろんなことを教えてくれた。


だけど私自身大人になった今、
個性も考え方も、価値観も
両親がイメージしながら教育していた
娘の人生やパーソナリティーとは
全然違う仕上がりになっている気がする
現にそう言われる

そして夫も義父には
「わしにはお前の考えていることがこれっぽちもわからん。贅沢せずに普通に生きなさい」と
今でも心配されていて
義母には
「あ〜こんなに息子がいい男に育つなんて!」
とうっとり喜ばれるという
サプライズな仕上がりを見せている


私の母は母性が強く、
世話好きで心配性なタイプ。

若き母が幼き私の子育て中、

事あるごとに

「気をつけて」
「危ないよ」
「ここは遠慮しときなさい」


などとしょっちゅう声をかけ、
その理由を懇々と
説明してくれたのにも関わらず、
わたしは当時から
その言葉を右から左に流していた

危ないとわかってても
多少なら全然気をつけなかったし、
今もあまり気をつけない(....え)
何かを決める時、多少リスクがあっても
自分の勘に根拠のない自信を持ち、
だいたい大丈夫でしょ。
無理でも結果、大丈夫だから。(....え)
という非常にアバウトな考えの娘に育った。

どちらかというと
好奇心旺盛で未来志向の夢見るタイプ。

慎重で心配性で(でも明るく天然)
現実をきちんと何より大切にする母とは真逆だった。

今でも母と話していると

わたし 
(おかあさん、そこはもっとこうしたらいいのに...)

そして母は私に対して

(え!あなたのその答え、私にはちょっと考えられない)


基本的な感情面は似ているけれど
受け取り方、向き合い方が違う。

今では笑ってツッコミ合えるけど
思春期は「はー、、面倒くさい。」
「あーいやだいやだ」と
お互いしょっちゅう思っていたはず


本を読みなさいと一言も言われなかったけど
本を好きになった。


こう振り返って

なーんだ。
母は昔から母だし
わたしは昔から今現在もわたしだ。


そう気付いて
とっても楽になる。


わたしが子どもの前で
自分のままで自然体でいても
無理してすごーく″ちゃんと″としていても

子どもの本質はそう変えられるものじゃない

彼らはきっと、ずっと彼ら

子どもは自分とは全く違う別人格。

そんなの当たり前にわかっているはずなのに
知らず知らずに″この子のために″と
″こうなってほしい″と
手出し口出しをつい、してしまう

だけど、多分
そうしたところで与えられる影響は
そんなにおおきくないのかもしれない

現に、周りの友人たちを見渡しても
考えや価値観、趣味嗜好が似ているな親子って
なかなか思いつかない
同じ親に育てられた兄弟でさえ全然違う


あまりに価値観を降り注ぐことで
精神面で確実に影響を与えるとしたら
何かを決める時、

「お母さんこうしたら嫌かな。」

といった遠慮の気持ち
感じなくてもいいはずの罪悪感の気持ち


友達でも趣味でも進路でも職業でも
何かをきめる時、


「おかあさんが喜ぶのはこっちかな」


と、優しければそこで遠慮し、

「おかあさん、嫌がるから秘密にしとこ」


と、自分が強ければそこで親に内緒にする。


″自分″を極めて
人生を謳歌して
自分の心にしたがって歩んでほしいのに
親である私に遠慮はしてほしくないなと思う


最近息子がブレイクダンスに興味をもった

きっかけはドラゴンボール

悟空に憧れて、強い男になりたくて
家の中でせっせと鍛え、修行に励む日々。

その延長でバク宙をマスターしたくなったらしく
教えてくれとせがむので
YouTubeで「バク宙 」で検索してみた

次々と関連映像がでてきた中で
ブレイクダンスの天才少年を紹介する動画が
偶然再生された

ストリートミュージックに合わせて
踊りながら頭や肩でくるくる周り、
アクロバティックな超人技を次々に繰り広げる
天才少年に息子はもう、一瞬で虜に。

それから毎日、学校から帰ってきてから
ずっとブレイクダンスの練習をしている

会ったこともない
天才少年にものすごく影響を受けて、
「7歳から1日6時間練習してる」という言葉に
刺激を受け、よし!じゃあ僕は7時間!と自己流で練習してる(実際は2時間。でも...!一週間で逆立ちでストップできるようにまでなった...!)

最初は

「ブレイクダンスかぁ。
この子がブレイクダンサーになるのかぁ。怪我したら仕事どうしよう。生活できるかなぁ。(気が早い)」と、正直ちょっと思ってしまったけど
じゃあ、何になってほしいの?と考えても
″息子のなりたいもの″としか、思いつかない。
もちろんできれば不自由なく生活できる収入があればいいな!とは思うけど、
それは親が無理矢理決められることじゃない。


安定した人生。
挑戦する人生。

それを決める権利は本人にしかない。

これからもその歳その歳で
変わっていくだろう
自分で″いい!″と思った趣味嗜好、友達etc,..

たっぷり愛情だけは与えた上で
彼の心の向くままに興味を持ったことを
危なっかしい時期があっても
出来るだけグッと我慢して手出し口出しはせず
肯定してここぞと言うときに必要なバッグアップや助言をして応援してあげることができたなら
なんて理想なんだろうと思う


彼自身の心の声にしたがって
自然に成長していったなら
その先にどんな息子に出会えるんだろう?

すごく勇気のいることだけど
そうして大きくなった息子に会ってみたいなと思う


ただ、、、親になるとそれって
ほんっとーに勇気のいること、、、!
なんですね


子どもが生まれる前までは
断然!可愛い子には旅をさせよ派だったけど
いざ、子どもが出来てみると、、

私たちが履かせてあげられる下駄があるなら
履かせてあげたくもなるし、
出来るだけ苦労せずに楽な道を(そんな道ないんだけど)と願って整えてあげたくなる親心を知った。

じっくり待てる心と信じきる強さが
母としての私のこれからの課題になるのかな。


そんなことを
ブレイクダンスの自己流特訓で
汗だくになる息子をみて考察。



(ベッドが練習場、、。)


考えたての荒削りの考察ですが
ひとまず、そう思っている今、
ここに書き留めておくことに🌱

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