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Showing posts from February, 2019

回復する場所

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東京は食べるお店に事欠かない それも美味しくステキなお店 そんなお店にも種類がいろいろあり 五つ星の豪華な高級なフレンチから 紹介制のエクスクルーシブな銀座のお鮨屋さん こじんまりとした隠れ家的なカウンタービストロ わいわいがやがや 活気のあるトラットリア 居酒屋とおしゃれのいいところどりの立ち飲みスペインバル 下町の安くて美味しくボリューム満点の定食屋さん 全国から進出し 激戦区で凌ぎを削るように生き残る ラーメン屋さん などなど、、 その他数えきれない いいお店 雰囲気と味 価格設定  そのどれもがピタッとあっているのが 私の考える いいお店 そんなお店が たくさんあるから いつも新しいお店に〜 となりそうなものだけど お店との 相性とか縁というものがあるらしく そのお店に呼ばれているように 気がついたら  なんども行っている というお店も多い そんなお店のひとつが 西麻布にある フレンチレストラン ”L'Effervescence” 今回は友人たちとディナーに  程よく重いドアをあけると 世界観に包まれるようなお店が好き 内と外の世界をくっきり分けるようなドアの重みは気分が盛り上がります 黒 灰 クロスの白  間接照明に照らされた木が 控えめな金色に光る シックで重厚な色彩の中に 木の金がモダンな軽やかさを添えている 店内を落ち着いた雰囲気にしているのは 深い黒 その黒は左官職人でありアーティストの 久住直生さんによる 黒漆喰 ヨーロッパ的なシックと 日本的な洗練や粋は 通ずる要素が多いと感じさせてくれる作品 漆喰の黒は 冷たくない  あたたかい黒  付かず離れずの 程よく気さくな接客に 創造性豊かな一皿 一皿 子供時代を懐かしみ 童心に帰れるような 洗練された小さなサプライズが 合間合間に散りばめられて盛り上がる その人の 大人の中の子どもの顔が 垣間見れるときって なんだかいいもの見ちゃったって気持ちになります 母になった今は ランチもしくはモーニングで 友人たち

芝桜

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先日の 節分の日 京都祇園の地で初めての ”お座敷遊び” という経験をする機会に恵まれました お邪魔する でも  足を運ぶ   でもなく  異空間 異世界に ”トリップ”する という表現が しっくりきた一夜   節分の日のお座敷は 『おばけ』といって 舞芸妓さんたちが いつもの姿とは違う仮装をする 特別な夜なのだとか 『節分おばけ』とは 節分の夜にばっこするとされる鬼を 目くらまし?するために 老婆が少女の髪型である桃割にしたり  逆に少女が成人女性の髪型である 島田に髪を結ったりして 普段と違う姿をすることによって その夜をやり過ごすための風習なのだそう 初めてのお座敷なもので  何が普通で何が異装なのか わからぬまま夜はスタート! 会がスタートすると なんとも初々しく かわいらしい舞妓さんたちが  簪をしゃりしゃり揺らし はらりはらりとまさに舞うように 花のような笑みで登場 おばけといっても 全員が仮装するわけではなく 綺麗どころは綺麗どころで ちゃんといてくれるみたい 『おこしやす〜』 と早速席について トクトクトク・・ 日本酒を注いでくれる 目が合う にっこり ああ・・・なんかいいかも 気分は和服を着た お金持ちの恰幅のいいおじさまです 大正の大御所の文豪とか? 気分を雅に雅にもっていく あちらもこちらも見渡す限りの舞芸妓さん はんなりとした京言葉で微笑みかけられる  思わずこちらもニンマリ。 ・・・いい! なんだかわかる。 この世界で大盤振る舞いしたくなる気持ち・・・ 楽しいおしゃべりの 合間合間に 舞?演目?が繰り広げられます この日は 入れ替わり立ち替わり 様々な置屋さんから その日『おばけ』の出し物をする  (舞とか演目とか出し物とかどういう呼び方が適切なのか・・) 芸舞妓さんたちが 二人組や三人組でやってきて 演目を見せてくれ その後 客人に千社札という名刺を配

Dior&I

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近頃 過去に見た ドキュメンタリー作品を 見返すのがブームです 時が経ち 同じ作品を見返した時に 以前とは異なる感想や ある場面に対する受け取り方 見る視点の変化を感じることは 映画や小説でも よくあることですが ドキュメンタリーに関しても それは同じ  その変化 感想の振り幅は 自分の環境の変化や 感性の深まりを実感することになる 以前と比較することで 今の自分を知ることになり これまで何をどう思うことを 選んできたかを確認する作業にもなったり 好きなものがより分かる 自分に詳しくなる それがつき詰まった時  あらゆる選択に その人らしさを感じさせる様を スタイルと呼ぶのかもしれない ものを知り 経験し 感覚が進化する 熟す  それを一種の洗練と呼ぶならば それらが研ぎ澄まされるにつれ 新鮮な驚きや 感激に満ちた純粋な無垢さは 少なくなってしまうのかもしれないとも思う ある意味で 洗練と初々しさは相反するものだと思う 要は滅多なことでは 感激しなくなってしまうということ  こと 美 に対しては特に  これは喜ばしいことなのか 少し悲しい事なのか 『Dior&I』ディオールと私 2015年の公開当初に観て以来 四年ぶりに観ました ラフシモンズが 初めて手がける ディオールのオートクチュールコレクションの舞台裏に迫るドキュメンタリー ラフシモンズと お針子さんたち  チーム ディオールの プロフェッショナルな様子や オートクチュールの 圧倒的な美しさと素晴らしさ 最後のショーの フィナーレの場面で それまで人前に出るのを拒んでいたラフが 感極まり 涙を浮かべながら 会場へ出ていくシーンは 以前見たときと同様に感動しました 一方 前回観たときと 明らかに違ったこと  作中に飛び交う言葉や状況に関する理解度 リヒターやスターリングルビー ジェフクーンズといったアート作品 ディオールというメゾンの歴史や  ディオール氏の生い立ち 四年という歳月で 自然