個性を大切にするって...?
兄弟を育てていて
おもしろいと思うのも
大変だと思うのも
持って生まれてきた個々の特性の違いを
日々、目の当たりにできるところ
同じ親で
歳もひとつ違いの同性。
同じ家庭環境で育ってここまで違うの、、?と。
長男は
意思が強く、独創的。
活発で想像力が豊か。
裏をかえせば
基本的に落ち着きがなく、
言うことを聞かない。
大人からみると「やめてほしい」ことに
積極的にトライ。
一定枠からはみだしたようなアイディアが
豊富で常に何かにひらめいては夢中になる。
気がつけばひとりで廊下で創作に没頭していたり
何やら、熱心に書いていたり
ひらめきのままに
いつのまにか違う遊びになっていたり
かるたでは....
こんな並べ方に。
市販のおもちゃの色が
リアルじゃないと
より、本物だと思う色に塗り直す
カブトムシはケースではなく、顔で飼う
レストランに入ってこういうものが
立てかけられていたら
「弾きたい」ことであたまがいっぱいになり
食事に集中できない
岩があったら迷わず、登る。
叱られると分かっていても
試さずにはいられない。
ボディソープでどうしたらこうなるの、、
。。。
「すごいね!そんなこと思いつくなんて^ ^」
と
「なにやってるのー!!やめなさーい!」
が交互。
それらはすべて、表裏一体。
同じコインの表と裏のちがいだったりするものだから、困ってしまう。
母親の場合、過ごす時間が長い分
短所として出ているところに
どうしても振り回されて疲れがち。
そうなると、
同じ性質の長所面が出ていたとしても
「すごいね」という気持ちよりも
まず先にため息が出てしまう。
一番伸ばしてあげたい部分と
一番叱っている部分が
同じ個性から派生している矛盾。
長男のようなタイプはきっと、
年齢を重ねるごとに興味がどんどん広がり、
いっぱい失敗し、いろんな人に叱られながらも
フットワーク軽くどんどん独自で行動範囲を広げ、
あっというまに親離れするのだろう
上手に個性を伸ばすことができれば
そのアイデアと活発さでいろんなことに
挑戦しながら、夢中になる自分の世界をみつけるのだろう
では、その個性を自然に上手に伸ばすって
一体、どうしたらいいのだろう?
自分の好奇心が何にも勝る子を
常識や枠から逸れないようにするためには
ある程度、無理やり我慢させたり
教え込むことが必要になってくる。
だけどそうして強制していくことは
やり方を間違えると
彼の個性も同時に否定することにもなる。
あらゆる社会から否定されれば
本人は、湧き出る好奇心を
《興味を持つことを放棄する》という形で
感情を押さえ込みながらどうにか
社会生活には馴染むように頑張るのだろう。
だけど、そうして大人になったとき
本当は社会で活かせるはずだった
生まれ持った本来の特性を
とうの昔に見失ってしまっている
ということにはならないのだろうか。
それは一番避けたいこと。
自分の好きなことや得意なことを
世の中で活かし、
役に立てることで幸せを得てほしいというのは
親としてのひとつの望み。
意識しなくても社会や集団生活からみると
「ちゃんと普通にやって!」
「なにやってるの、、」
そんな反応になることが
まだまだ一般的だとも思う。
その上で母であるわたしができる、
叱りつつ、個性を大切に
褒めつつ、規範も教える
親として「自由」を与えつつ
「自由」の枠決めをする
その狭間でこれからも葛藤するのだろう
一方で子ども側からも
成長とともに
わたしという母のいい面悪い面
の表裏一体がわかってきて、
葛藤すること、出てくるんだろうな
わたしのあの部分も、この部分も。。
息子たちに呆れられるの、容易に想像できる笑
子育てって
お世話して、褒めて、叱って、
躾けながら、特性は守り、伸ばしたい。なんて
本当に、、一大プロジェクトですね。
そうしてわたし自身も育つのかな。
きみたちのこと
呆れながらも諦めないから
ママの下手なりの試行錯誤育児に、これからも
付き合ってね。ヨロシク。
Comments
Post a Comment