育児しながらキレイでいたい問題

育児をしながらキレイでいたい。


この矛盾した問題に
向き合って、6年が経過した。




(この後、次に投げたウッディが
わたしの顎に直撃するという事件が起こる)



突然ですが、
わたしは自分のことを
美という才能に恵まれた人だとは
思ってはいない。


今は、世界的にも美の価値観が
多様性を帯びてきている時代ですが


私がかつて経験した
モデルという職業は
容姿が第一の基準であるシビアな世界でした。


日々、自分の容姿に対し
Yes.Noとジャッジされる。


最初こそ、傷つくことも多かったけれど、
次第に感覚がマヒし、
傷付く代わりに
自分の容姿に客観性をもてるようになった。


自分の美の評価はこんな感じ。
良くも悪くも、なるほど。と。笑


世の中には生まれながらに
顔の造作やスタイルの
素晴らしく整った人たちがいる。
身近に、目の当たりにした美の才能の数々。

(モデルたちは一見、自信家と思いきや、実は自分の美に対してドライな客観性を持っていることが多い。だからだろうか?実際は飾らないキャラが多い※私調べ)


その経験から、
「美」というものに対し、
一歩引いた目線で、
地に足をつけて向き合いやすくなった。


自分自身を俯瞰して
じゃあ、これをどうやって
ベストまで、持っていく?というふうに。
そこで
気付きや、得るものもたくさんあった。


振り返ると、独身の頃は、
すべてが自分の時間でケアも好きなだけできた。


そうして「キレイ」を思う存分、楽しめた。


それが出産後、ガラッと状況が変わることに。

まず、時間の捻出がとたんに難しくなる。

その上、
職業上のキレイをキープする
差し迫った必要性なんてものは、なくなる。


でも、どこかで自分を諦めたくない。


その、矛盾と葛藤。


育児中は自分のことにまで
手が回らなくなるのが普通。


もう、キレイであること自体を
全て諦めてしまったら
楽なのかもしれない。とさえ、
思ったこともある。


ノーメイクで、体型維持も諦めて、
おしゃれもやめて、いっそのこと
「おっかさん」になろうかと。


それでも、
子どもたちはわたしを愛してくれるだろう。


ここで、ひとつ、エピソードを思い出す。

第二子出産後、実家へ帰省したときのこと。


寝不足でへろへろになりながら
鏡に向かい、セルフケアするわたしに
母が言った言葉。


「もうそんなことはやめて、寝なさい。
ボロボロの姿も母親として一生懸命頑張っている
きれいな姿なんだよ。」


2年連続で妊娠、出産、
その後、待ったなしで
24時間体制での年子育児。

その過酷さに
母になった喜びなんていうものが
一体なんなのか、分からなくなるほど
疲れ、やつれた時期。


日に日に
クマは濃くなり、
頬がこけて、体は痩せ細る。


かつての自分自身が、
どんどん遠のいていくのを感じて。

  
そんな焦りからか
高級化粧品をやみくもに揃えて
自分のケアに必死になる娘の姿は
母から見ると痛々しく映ったのかもしれない。



母は優しさから、慰めるつもりで
今はボロボロでも美しい。と
この言葉をかけてくれたのだと思う。



感謝したと同時に
当時の私にはかなり、グサっときた。


鏡のクマに向かって
クリームを塗りマッサージをする
自分と目が合い、反省した。



ふたりも子供を産んで、
それでも、キレイを諦められないのは
とても自分本位で強欲で、
わがままなのじゃないかと。



それからはスパっと心機一転!?
しばらくキレイを放棄することに。


髪を振り乱し、育児だけに専念し、
自分のことは一切かまわないようにした。


それはそれでひとつの正しいあり方だと感じた。


そうして、しばらく経つと
だんだんと心の変化が起きる。

 
まず、美にまつわること全般、
多岐にわたり、意識が低くなる。

動作がなんとなく、ガサツになったり、

ジャンクなものがなぜか食べたくなったり、 

当然、ワークアウトもする気も起きない。


わたしの場合、美を意識上から放棄すると
明らかに生活にメリハリがなくなった。


そしてみるみる、老けた。


美というものは

積み上げるのは
根気と時間がかかるけど
手放すと
坂を転がり落ちるのは一瞬。
なのだと、痛感した。



楽になった?


確かに。


では、しあわせになった?


No.




母が言ってくれた
「ボロボロが美しい」というのは、
ある意味正解であって、不正解だった。


そこでわかったこと。


キレイでいたい。おしゃれをしたい。
というのは誰かのためでない、
自分自身の心のハリの部分を支えるものなのだ。と。


女性は少なからず、自分を心身ともに
美しいと感じられたときに余裕と自信が持てるものだと思う。

 
その美しさとは「自分が思う自分のベスト」。
他の誰かと比べた、美しさではない。


ボロボロの時はボロボロのまま放っておくより
ボロボロなりにできるベストというものがある。


育児をしながらもキレイでありたい。
というのはハードな挑戦でもある。
やんちゃな子をもつ親は特に。

 
もちろん自分自身にかまわないで
子供に全てを注いでいる
素晴らしいお母さんたちだって
たくさんいるのを知っている。

心からそれに幸せと
喜びを見出せる人だっている。


一方で、わたしのように
自分のケアもすることで
余裕が生まれ、結果的に
その方が子育てがうまくいくタイプもいる。


どちらがいいということではなく
自分にとっての幸せが
どちらか見極めることが大切。


街で綺麗にしているママたちを見ると
励まされる。


彼女たちは
育児をしながらキレイでありたいという
難題に挑戦している同士だと。
(特にやんちゃそうな兄弟を連れていたら一気に親近感アップ)


その過酷な舞台裏を思い、
すれ違う時、ハイタッチをしている。
心の中で笑



美しくありたいと思い続け
努力することは、
ときに しんどいこと。


でも美しくあることを諦めたとしても
それはそれで違うしんどさがある。


どちらもしんどいのだったら
頑張る方が得じゃない?と
考えるようになった


そして、モチベーションが足りなくなったら
全てをあきらめるのではなく、
一旦、期間限定でキレイを放棄してみる。


そこで気の済むまで一休みしたら、
再び、立ち上がる。


育児をしながら
キレイでありたい問題については


頑張って、頑張って、ひとやすみ
頑張って、頑張って、ひとやすみ


その繰り返しでいいのかなって。



今日の一コマ。






幼稚園帰り、男子たちを
追いかけてぬかるみで滑ってこけて
泥がついた。

おニューのボッテガとクチネリが泣いている。


応急処置をしてとりあえず一命はとりとめたけど
乾くまでこの状態で過ごすことになる


わかっている。


子連れで、いい靴、いい服を着ていく
わたしが悪いことは。


でも着る。で、こうなる。


六年間これの繰り返し。


学びつつ、無視している。


だって子連れじゃない時に
着よう、履こうなんて思っていたら
今のわたしは、いつ使うの??

大事にとっておいたら
そのうちに心の旬も過ぎて、使わなくなる。


使わないまま綺麗より
汚れても使った方がいいよね、、?と。


子どもたちがあかちゃんだったころ、
かつての敵は寝不足だった。


ステージが変わり、敵も変わった。

今の敵は

砂に、泥に、日焼け。


公園ではしゃぎまわるふたりに
向かって眉間にシワを寄せ、
野太い声を出して
注意をしている自分。


はじめまして、そんな自分。


そしてそのわたしに
「ママ、今日もかわいいね」と笑顔を向けてくれる子どもたち。


もうひとりの自分が心の中で

「はて、美とはなんぞや?」と

今日も、問いかけてくる。


美と育児の両立。


これからも課題は多そうです。


「育児しながらキレイでいたい問題」を
かかえる、戦友のみなさま、


無理をせず、でも諦めずに
コツコツと、あらがっていきましょう^ ^
オー!

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