Dior&I
近頃 過去に見た
その変化
以前と比較することで
それがつき詰まった時
ものを知り
それを一種の洗練と呼ぶならば
ある意味で
こと 美 に対しては特に
これは喜ばしいことなのか 少し悲しい事なのか
『Dior&I』ディオールと私

2015年の公開当初に観て以来
ラフシモンズが
ラフシモンズと
チーム ディオールの
最後のショーの
一方
作中に飛び交う言葉や状況に関する理解度
リヒターやスターリングルビー
ディオールというメゾンの歴史や
四年という歳月で
自分に貯まっていた知識が
以前も見たはずなのに
わからないものは
字幕で日本語が流れていても
今回観て
リヒターはリヒターとして
様々なことが理解できる今だからこそ
あ!そういうことか!
そんな感じで
そして
現デザイナーの
大切なものは大切に着たい
なんでも着慣れてこそ
様々な本を読み
メゾンの歴史を遡り
大切にデザインされ
柔らかな薄紙に包まれ
そんなものを手にすると
どうしたってた大切にしたくなる
その工程すべてに喜びがある
洋服を着るということのついて
私にとってはいい循環
Dior&I
このタイミングで見返すことができて

まさに
アナウィンターのドキュメンタリーも
ドキュメンタリー作品を
見返すのがブームです
時が経ち
見返すのがブームです
時が経ち
同じ作品を見返した時に
以前とは異なる感想や
以前とは異なる感想や
ある場面に対する受け取り方
見る視点の変化を感じることは
映画や小説でも
映画や小説でも
よくあることですが
ドキュメンタリーに関しても
それは同じ
その変化
感想の振り幅は
自分の環境の変化や
感性の深まりを実感することになる
以前と比較することで
今の自分を知ることになり
これまで何をどう思うことを
選んできたかを確認する作業にもなったり
好きなものがより分かる
好きなものがより分かる
自分に詳しくなる
それがつき詰まった時
あらゆる選択に
その人らしさを感じさせる様を
スタイルと呼ぶのかもしれない
スタイルと呼ぶのかもしれない
ものを知り
経験し
感覚が進化する
熟す
それを一種の洗練と呼ぶならば
それらが研ぎ澄まされるにつれ
新鮮な驚きや
新鮮な驚きや
感激に満ちた純粋な無垢さは
少なくなってしまうのかもしれないとも思う
ある意味で
洗練と初々しさは相反するものだと思う
要は滅多なことでは
要は滅多なことでは
感激しなくなってしまうということ
こと 美 に対しては特に
これは喜ばしいことなのか 少し悲しい事なのか
『Dior&I』ディオールと私
2015年の公開当初に観て以来
四年ぶりに観ました
ラフシモンズが
初めて手がける
ディオールのオートクチュールコレクションの舞台裏に迫るドキュメンタリー
ラフシモンズと
お針子さんたち
チーム ディオールの
プロフェッショナルな様子や
オートクチュールの
オートクチュールの
圧倒的な美しさと素晴らしさ
最後のショーの
フィナーレの場面で
それまで人前に出るのを拒んでいたラフが
感極まり
感極まり
涙を浮かべながら
会場へ出ていくシーンは
以前見たときと同様に感動しました
一方
前回観たときと
明らかに違ったこと
作中に飛び交う言葉や状況に関する理解度
リヒターやスターリングルビー
ジェフクーンズといったアート作品
ディオールというメゾンの歴史や
ディオール氏の生い立ち
四年という歳月で
自然に学んで
自分のものになっていた数々のこと
自分に貯まっていた知識が
同じ物語がぐっと近くしてくれた
以前も見たはずなのに
まるで覚えていないシーンも、、
わからないものは
自然に聞き流し見流しているものだ
字幕で日本語が流れていても
知らない言葉は
『わからない言語』と同じ
今回観て
リヒターはリヒターとして
スターリングはスターリングとして
ある日
英語が英語として
スラスラ耳に入ってくるように
それらが何を指し何を意味するのか
ということも含め
”聞こえる”ようになっていた
アート
ディオールの歴史
ラフのディオール以前の活動のこと
様々なことが理解できる今だからこそ
普通に観ていても
詳細やニュアンスが
ストンと落ち
作中で拾い上げる点と点が
作中で拾い上げる点と点が
物語の以前と以後も含む
長い線として見えてきて
あ!そういうことか!
と作品には関係のない
別のことに関しても
急に理解できたりする瞬間が訪れる
そんな感じで
物事に対しての
『単語力』のテストを
受けている感じにもなり
面白く鑑賞
そして
以前と感じ方が違う
もうひとつの理由は
Christian Dior の服を
少しですが
実際に購入し
実際に購入し
着用するようになったこと
この作品のテーマの
オートクチュールではなく
プレタポルテと呼ばれる既製服ですが
生地と仕立ては
プレタポルテと呼ばれる既製服ですが
生地と仕立ては
さすがの一言
バージャケットや
チュールスカート
ドレストレンチや裾が広がるドレス
白い水玉のシルクブラウス
白い水玉のシルクブラウス
ハンサムなダークネイビーのパンツ、、、
現デザイナーの
マリアグラツィアキウリ
のデザインの中から
できるだけ
ディオール氏が遺したフェミニティ
ディオール氏が遺したフェミニティ
ディオールらしさを感じることができる
普遍的なアイテムを中心に
普遍的なアイテムを中心に
一枚一枚吟味して
揃えていく
白 黒 ベージュ ネイビー
大切なものは大切に着たい
だけどあくまでも普段使いに
なんでも着慣れてこそ
こなれるというもの
様々な本を読み
メゾンの歴史を遡り
思いを馳せる
大切にデザインされ
仕立てられ
夢のようなブティックに
一枚 二枚 と
たっぷりとした余白を持って
陳列された洋服たち
柔らかな薄紙に包まれ
私の元へ
そんなものを手にすると
どうしたってた大切にしたくなる
そして敬意を払いながら大切に着て
メンテナンスする
その工程すべてに喜びがある
洋服をただ着るのとは違い
デザイナーを知り
その思想を着る
洋服を着るということのついて
深く考えるきっかけを与えられました
そうなると
そうなると
ますますものを買うのに慎重になり
結果 適当な買い物は減り
結果 適当な買い物は減り
好きなものに使える予算を確保できる
私にとってはいい循環
Dior&I
このタイミングで見返すことができて
こうして感じていたことを整理すること
育児に追われながらも
育児に追われながらも
微速ながらも
いろいろと諦めきれず
もっともっと と
知りたい気持ちを保ち続けていたことを
確認できた
いい時間となりました
まさに
『ファッションが教えてくれること』
アナウィンターのドキュメンタリーも
ひさしぶりに見返したくなりました
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